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「これ以上迷惑はかけられないから、歩いていきます」
と言い張る凱歌を
「これまで目一杯迷惑かけといて、いまさら『これ以上』も何もありゃしねぇだろ」
とムリヤリねじ伏せ、謙一は真弓とともに彼を最寄りの駅まで車で送っていくことにした。
最寄りの駅までは車で十数分ほどだ。しかし、歩いていくとなると3時間近くかかる。なおかつ車必須の田舎であるため路上を歩く人の姿は少なく、歩いているとどうしても目立ってしまう。そこから凱歌の身元がバレてしまう可能性も、ないわけではなかった。
「……なぁ、これからどっか探すアテはあるのか？」
駅に到着し、助手席から降りようとドアのインナーハンドルに手をかけた凱歌に、謙一は声をかけた。凱歌は首だけ捻って謙一を見たあと、力なく首を横に振った。
「北へ向かっていることしか、今のところは……」
「ふん――」
やっぱりそんなもんか――そう思いながら、謙一はポケットから封筒を取り出した。そして、それを凱歌に突き出す。
「これまでの礼だ」
「――え？」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、凱歌が封筒に目を落とす。だが、手を出そうとする気配はなかった。
「でも……」
「金じゃねぇよ。そんなもんやれるような余裕、うちにはねぇからな」
「じゃ……」
「じれってぇなぁ。やるって言ってんだから、とりあえず貰えるもんは貰っとけ。あんたが損するようなもん、入れてねぇよ」
そう言われて、ようやく凱歌が手を伸ばす。封筒を受け取り、謙一を方をちらっと見た。ここで開けて良いのかどうか、迷っているらしい。謙一は、顎で開けるように指示した。
凱歌が封筒を開け、中から折り畳まれた一枚の紙片を取り出す。紙片を開きそこに書かれているものを見て、さらに困惑の度合いが増したようだった。眉をひそめながら、紙片の文字を二度、三度と見返す。
紙に書かれていることを何も説明していないのだから、その反応は当然だ。
「その住所、あんたの母親の勤め先だ」
数瞬の間の後、凱歌がバッと顔を上げる。信じられないという気持ちを、顔一杯に表現していた。
「この前は知らないなんて言って、悪かったよ。あんたの母親、随分前に俺のとこへ来てな。その時の話の流れで職を紹介することになったんだ。なるべく北へ行きたいっていうから、うちの漁協と繋がりのある青森の魚市場の食堂、紹介してやったんだよ。辞めてなきゃ、今もそこにいるんじゃねぇか？」
「どうして、ここへ……」
「親父が関わってた闇取引に、一緒に参加してた建設会社の社長さんの奥さんなんだろ？ それで俺たちのこと知ってたんじゃないんかな。俺のとこに来て、あんたのこと謝ってたよ。まぁ……あの時の俺は親父のことなんてどうでも良かったし、謝られてもなぁって感じだったんだけど」
「……」
「第一、あんただって、母親がこの町へ来たってどっかで聞いたから、ここへ来たんだろ？」
「え、えぇ……」
「じゃ、いいじゃねぇか」
大喜びしてもいいはずの情報なのに、凱歌は顔を強張らせて押し黙った。紙片に書かれた住所を食い入るように見つめている。
おそらく凱歌は、母親が何故自分から逃げようとするのか、理解できていないのだろう。母親の居所を知っても素直に喜べない元凶は、そこにあるようだ。母親に会いたい気持ちはこの上なく強い。しかし、その裏で当の母親に拒絶されている自分にも気付いている。しかも、何が原因でかたくなに否定され続けているのかわからない。原因がわからないから、対処のしようもない。過去に犯した自分の罪が原因ならば、もはやどうすることもできない。結果、自分の思いのまま母を探し求めるしかできないでいるようだ。
そして、母親はそんな凱歌から逃げ続ける。ゴールの見えないいいたちごっこだった。
そんな不毛な鬼ごっこを不思議に思い、謙一は凱歌の母親に直接尋ねたことがある。「何故息子から逃げるのか」と。しかしその質問を投げた途端彼女は黙り込んでしまい、結局その質問については何も言わなかった。自分も親父のことから目をそむけている後ろめたさがあり、あまり突っ込んだ質問はできなかった。
だが、ずっと逃げ続けることが、はたして両者にとって良いことなのだろうか――。
部外者である自分が口出しすることではないが、そう思わずにはいられなかった。
「――母親に、会えるといいな」
率直な気持ちが口を突いて出た。その言葉に凱歌は一瞬驚いたようだったが、すぐに微笑んで見せた。今まで見た中で、一番孤独感の強い微笑みだった。
凱歌は住所の書かれた紙を折り畳み封筒の中へ丁寧にしまうと、それをジャケットのポケットに入れた。
「――いろいろ、ありがとうございました」
そう言いながら、凱歌が車から降りる。
「もう二度と会うこともねぇだろうけど――死ぬなよ」
心の底から、そう思えた。その気持ちが凱歌にも通じたのか、「はい」という小さな返答が聞こえた。
後部座席で、真弓が凱歌に手を振る。それに気付いた凱歌が照れくさそうに、それでいて少しうれしそうに手を上げて応える。そして、一度軽く頭を下げて、そのまま身を翻しホームへと姿を消した。
一つの嵐が過ぎ去ったような空虚を、微かに感じた。自然とため息が一つもれる。
「――ねぇ、お兄ちゃん、このCD、どうするの？」
後部座席に放り出してあったCDを手元に寄せながら、真弓が訊ねる。父の最期のメッセージが入った、例のCDだった。
「……真弓は、必要か、そのCD？」
「あたし？ あたしは、証拠とかそういうのは全然わからないけど、お父さんの声とか気持ちとか聞けたから、もういいかな」
「そうか……」
真弓からCDを受け取り、謙一はケースを開けた。CDを取りだし、青い記録面を見る。このCDがあったから真弓が1211に襲われるハメになったのだが、このCDがなかったら父親のことを今も憎み続けていただろう。今ならば完全に認めているのかと問われてもそうではないと答えるけれど、以前ほど憎くはない。少なくとも、時々思い出してもいいかなという程度には認めていると思う。
闇取引の証拠データを警察に提出することも考えた。しかし、それは同時に、父のことを告発することにも繋がる。ようやく少しでも父のことを認められるようになったのに、今更蒸し返してほしくはなかった。
せっかく残してくれたものだけど、過去のことで振りまわされるのは、正直もう、疲れたよ――。
「1211の手下どもが、都合良く監視しててくれるといいんだけどな……」
そう呟きながら、謙一はCDの両端に力を入れた。間もなく、パキッと乾いた音を立ててCDが二つに割れた。これでもう、通常の手段でデータを読み込むことは不可能だろう。
「あ……」
謙一のその行為に、真弓が小さく声を上げる。「……いいの？」
「何が？」
「だって、割っちゃって……」
「やり直せない過去のことなんか、もう、どうでもいいさ。変われる未来の方を、俺は信じたいよ」