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一体何が起こったのか、すぐには理解できなかった。
高校からの帰り道は、いつもとほとんど変わりないはずだった。ただ一点違うとすれば、いつもに比べて少し時間が遅いことくらい。高校の近くにある小さな書店に立ち寄り、ついつい立ち読みに夢中になってしまったのが原因だった。4冊目の雑誌を読み終え腕時計に目を落とすと、針は4時半を指していた。日暮れの早い11月後半。午後4時半といえばもう夕暮れ時だ。
暗くなる前に、絶対に家に帰れ――真弓は兄の言いつけを思い出し、ため息をついた。一年ぐらい前から、しつこく言われるようになった台詞。高校生にもなって「暗くなる前に帰れ」というのもおかしな話だと思う。けれど、何故か反発する気にはなれなかった。
海岸線に沿った道を小走りに歩く。学校と家を結ぶこの道に民家はほとんどなく、街灯も少ない。完全に暗くなる前に帰らないと――焦る真弓の気持ちを、さらに潮騒が急きたてる。
漁港へと続く駐車場が見えてきた。魚独特の生臭さが漂ってくる。ここまで来れば、家まであと10分ほど。休憩も兼ねて、真弓は少し歩を緩めた。かなり早歩きしていたのか、少し息が上がっていた。
ふっと、前方に人の気配を感じた。地面に落としていた視線を上げる。5mほど先に、人影が見えた。一人ではない。男っぽいシルエットが三人。ただの通行人かと、最初は思った。しかし、彼らから発せられる雰囲気は、一般人のそれとは違う。真弓は思わず歩みを止めた。
背中にぞくっとするような視線を感じた。おそるおそる振り返る。男が二人、後方からゆっくりとこちらに向かって歩いてくるところだった。
ただの通行人かもしれない……でも、怪しい人だったらどうしよう……。少し迷った末に、真弓は漁港の駐車場へと歩を進めた。通行人だったらこっちへは来ないで、真っ直ぐ通り過ぎるはずだった。そうなってほしかった。
しかし、真弓の期待は裏切られ、悪い予想が的中した。真弓の後を追って男たちが駆け出すのを、視界の端に捕らえる。真弓も反射的に、海に向かって駆け出していた。駆け出しながら、誰かが漁港にいてくれるのを願わずにはいられなかった。
「たすけ……ッ！」
助けを叫ぼうとしたその口を、誰かの手が覆う。別の手が、真弓の右腕を背中へ捻り上げる。頭の中が真っ白になった。捕まった、そのことだけが思考を占拠する。何をしなければならないのか、まるで思いつかなかった。体中の力が抜けていくのを感じた。
次の瞬間、背後から激しい打撃音が聞こえた。口を覆っていた手が離れ、右腕の拘束も消える。突然の事態に対処できず、真弓はその場にへたり込んだ。
何が起こったのか確認しようと背後を振り返ると、男が一人、すぐ後ろで悶絶していた。その男を挟んだ向かい側で、黒い影が閃いた。再び打撃音が響く。たったの一撃で、別の男が為す術もなく倒れた。
黒い影が男たちの間を踊るように跳ねる。影が閃く度に、一人、また一人と、男が地に平伏していった。男たちに反撃するような余裕はなかった。
5分も経たずに、その影以外に立っているものはいなくなっていた。
どうやら助かったらしい。真弓は安堵した。事態を把握するにつれて戻ってきた気力を振り絞り、立ち上がる。そして、倒れ伏した男たちの中央に立つ影に、真弓は声をかけようと口を開きかけた。
その途端、黒い影が、糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちた。声をかけるよりも先に、真弓は影に駆け寄った。
黒い影のところどころに、紅い点や線が見えた。返り血だけとは思えない量だ。どこで負った傷なのかはわからない。こめかみから顎にかけて染めている血が少しも乾いていないところからすると、出血してからそんなに時間は経っていないようだった。
真弓は影の隣に座り込み、おそるおそる手を伸ばした。その腕を、いきなり掴まれる。血に染まったその手は、影から伸びていた。てっきり気絶しているものだと思っていたばかりに、真弓は心底驚いた。
影の口が、微かに動くのが見えた。
「……に……くな……」
「え？」
潮騒がうるさく、よく聞き取れなかった。真弓の声が聞こえたのか、影が頭をもたげる。ギラギラ光る鋭い瞳が、真弓の顔に突き刺さる。事典で見た狼の瞳のようだ。真弓は頭の片隅でそんなことを思った。
「病院……連れて、くな……」
影が言い終えるのとほぼ同時に、真弓は腕をぐんっと引っ張られた。黒い影が完全に地に伏している。どうやら完全に力尽きてしまったようだった。
病院に連れていくな、って言われても――。助けてもらったのに、このまま放ってなんておけないよ。
真弓は悩んだ末に、駐車場内に設置されている電話ボックスへ駆け寄った。ここから程近い漁協に兄が勤めている。兄に連絡して、車でこの人を家まで運んでもらおう。
焦る気持ちを深呼吸で無理矢理抑え込んでから、真弓は電話のボタンを押した。